ケアマネmakoのひとりごと

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虎なmakoです。

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やっと回復^^

・・・やっとブログ再開です^^

実は、9/16以来投稿できずにおりました。

コメントくださった方、たった今確認いたしました。

ありがとうございます。

コメントを返そうとがんばったのですが、

返信欄がフリーズしております。

よって、こちらでお返事をさせていただきます。


優しいお言葉に心が温かくなりました。

お逢いしたことがないからこそ、

そして普段の何気ない会話にも「温かさ」があってこそ、

人間関係は成り立つのですね。


ケアマネとして、自分の能力の低さを痛感しております。

だからと言って、再び私にサービス提供責任者が務まるのか?と言われれば、

「それも難しい」のだと思います。


幹部から言われた言葉は心を貫かれました。

が、私は言葉で相手の心を引き裂いて来ていたことを思い知りました。


心ないコメントがあるときは本当に落ち込みます。

しかし、それも「私が引き寄せている」ものだと真摯に受け止めています。



さて・・・・こんなに投稿しなかったのは初めてです。

なんと言ってもパスワードを覚えておりませんでしたし。



なにはともあれ・・・安堵。


ブログを更新できないでいたときに、

三凛さとしさんのユーチューブに出逢いました。

私は自己啓発は縁がなかったのですが、

「無料」と知り、

「これは信頼できる^^」と単純に思ったのです^^


愛とは「与えること」だと言いながら、

私は「奪う」ことしかできませんでした。

三凜さとしさんは、ただただ与えてくださるのです。

直ぐに影響されたのではなく、最初は聴き流しておりましたが、

なんと言っても「声が優しい」ので心が落ち着くのです。

毎朝と夕方に届く三凜さんの「気づき」を聴くようになりました。


自己啓発セミナーは高額らしいですが、効果はあるものですか?

そのセミナーを受けると受講料に見合う幸せは訪れるものですか?


ケアマネが成年後見人になると「利益相反」になるそうですが、

高額なセミナーもそれに似た印象があります。

毎月数万円を支払わなければ幸せに気づかないものでしょうか。


私には財力もありませんので、

あ、例えば財力があったとしても投資はしなかったと思います。


つづきはまたあとで^^




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by miyabinahiro | 2018-10-01 22:45 | Comments(0)

おめでとう


お誕生日、おめでとう。

前だけを見つめて歩んでください。


だいじょうぶだから。

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by miyabinahiro | 2018-09-16 20:52 | Comments(1)

ぜいたくな悩み?


眼科医だった母に聞いたことがありました。

「外人には一重の人はいないの?」

すると母から、

「いるわよ、瞼が薄いから目立たないだけ。

 日本人は瞼が厚いから一重の人が多いのよ。」と教えてくれました。


今現在、私は体重減少も理由の一つですが、

極端に瞼が痩せてしまい、非常に貧相になりました。

目がね、窪んでいるのです。

一重とか二重とかの問題以前に、

瞼にまったく厚みがなく、

生活苦なのか人生苦なのか、

若いころとはまったく印象が異なります。

そりゃ、年齢を鑑みればばばぁになっても不思議ではありませんが、

「いつのまに? こんな顔? 149.png151.png153.png145.png137.png・・・」

瞼だけ太る方法はないかしら?


母が生きていたらこう言ったことでしょう、

「あらいいじゃない、目が2つあって、物が見えるんだから。ぜいたくよ。」









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by miyabinahiro | 2018-09-04 19:43 | Comments(0)

その瞬間


ある病院にて。

看護師長さんにお会いしました。


ユニフォームが素敵なのか、スタイルの良さなのか。

一際目を引く看護師さんの胸元には「看護師長」とありました。

私は心の中で「おぉ・・・」と呟きました。

今までこれほど自信に満ちたオーラを放ち、

且つ美しい看護師さんにお逢いしたことはありませんでした。

それは、私の中で一瞬にして看護師さんへのイメージを塗り替えた瞬間でした


何度か記事にして来ましたが、

私は「看護師」と聞くだけで我が体温と血圧が下がり、

「あぁ・・・イヤだ。」と拒否反応が身体に表れるほど嫌いでした。

嫌いな対象はほぼそのままで印象が変わることはありませんでしたが、

今回は拒否反応が出ませんでした。


一瞬にして印象なり、抱いていた自分の凝り固まった「世界観」を塗り替える出来事があります。

その「出来事」は何れ「感謝」に変わることがあります。



実はですね、

もうケアマネは辞めようかと考えていました。 約1ヶ月くらい。

私には向かない・・・と思うほど真剣に向き合って来たかと問われれば、

そうではなく、ただ業務をこなしていただけだったようです。


ある幹部から、私の至らなさや欠点、つまりは人格否定の言葉を告げられ、

私は言い訳よりも、「黙る」ことでしか抵抗できませんでした。

そこまで言うか・・・と思いながら、なぜか腹が立たない。

私の年齢になって、そこまで指摘する人はいませんでしたから、

有り難いと思いました。


「貴女には愛情がないから何も相手に伝わらない。

 そうなら「余計なこと」になってしまうから何も言わないほうがいい。」


・・・その通りです。

私は「人を愛する」ことはなかった。


愛の対極にあるものは憎しみではなく、無関心です。

とはかのマザー・テレサの言葉です。


相手の心に無関心であったことに今更ながら気づきました。



中国では一人っ子政策の負の遺産として「小皇帝(女性は小皇后)」が社会問題になっているのだとか。

親の務めは「わが子の自立」なのだそうですね。

そして「厳しさとは一貫性」であることを学びました。

親の気分や感情で怒鳴ったり殴ったり子供を罵倒することではなく、

「一貫して物事の善悪を教えること」が厳しさなのだそうです。


親の財力や社会的地位は問わず、

親の務めを担える親が「親」なのでしょう。

わが両親の未熟さの哀しみをも思い知りました。




真実の気づきを与えてくださった人に感謝する心が芽生え、

見える風景、周囲に存在してくださる人への「感謝」が生まれた瞬間がありました。



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by miyabinahiro | 2018-09-01 10:25 | Comments(1)

クセを知ること


今日という日に感謝いたします。

・・・よかった、本当に本当に有り難い1日でした。

逃げたくなりましたよ、でも逃げてはならないと自分に言い聞かせました。

「直ぐにペシャンとなるのがお前の悪いクセだ。」とよく父に言われました。

父亡きあとは、どれほど父に守られていたのかを思い知る場面の連続でした。


悩んでいた頃、眠れず・・・

それすらも母に話せば睡眠薬を送ってくれたのでしょう。

それも今は叶わない。


ドラッグストアーに行き、「ウット」を購入しようと思いました。

(ウットはブロバリンの成分が含まれていますから効くわけです。)

薬剤師さんから症状を聞かれ、

朝まで眠らずに仕事に行く日があることを話しました。

すると専門医を受診するようにとの助言を受けました。

「だからウットもドリエルも薬剤師の権限で売りません。」

・・・と言われてしまいました。

以前ならば烈火の如く怒った私ですが、「そうですか。」と。

いいえ、いいもん、別のドラッグストアーに行くからと心の中で呟き引き下がりました。


専門医とは心療内科のことだそうですが、

少しの医療の知識がある私には受診する必要性を感じないのです。

どういう問診をして、どんな薬を処方するかは知っていますから。

心療内科の先生を信頼しないのではありません。

ただ単にその分野の知識があるから行かないだけです。


ユーチューブで「だてりゅうほう」さんのお話しを聴くほうが、

余程効果があるのではないでしょうか。


他人を変えようとするから疲れますよね。

だから自分を変えたほうが早いと言われますね。

中々自分を変えられないから悩むのでしょう。

自分を変えるとは「考え方のクセを変える」ことかもしれません。




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by miyabinahiro | 2018-08-30 20:31 | Comments(0)

休みの過ごし方

休みの日、いつもの散歩に出かけようと車の鍵を持ちましたが、

しばらく使っていなかった自転車に視線を落とすと、

自転車はそこここにサビができていました。

サビ取り剤でゴシゴシ。

ココちゃんを自転車のカゴに入れて出かけました。

意外にもココちゃんは風を楽しむかのように長い耳も後ろに流れていました。

ココちゃんが一緒にいるだけですれ違う人が笑顔になり・・・

動物は人を幸せにする力を持つことに改めて気づきました。


人も本来はそういう存在なのでしょう、本来は。











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by miyabinahiro | 2018-08-28 21:06 | Comments(0)

人生が変わる、人生に潤いを与えてくれる12の感謝の法則

「その足で地球に口づけするかのように歩け」とはベトナムの禅僧ティク・ナット・ハンの言葉である。

 感謝は偉大さにつながる。それは文字通り、あなたが持っているものを十分以上に、仕事を喜びに、混沌を秩序に、不確かさを明瞭さに変えてしまい、ごちゃごちゃしていた日々に平和をもたらしてくれる。

 あなたがいかに恵まれているのか知るには、ただそれを数えてみればいい。人生ですでに与えれている幸運に気づくことが鍵だ。その対象が何であれ、感謝をすればさらに大きく輝いてくれる。

 こうした話をすると「あぁ、分かってるよ」といった反応が返ってくるが、実際にはほとんどの人が分かっていない。私たちはとても忘れっぽいのだ。忙しい日々に追われて、感謝の法則をつい無視してしまう。そして、その素晴らしい効果は失われてしまうのだ。だから、ここで思い出してみよう。


1. 今持っているものに感謝すると幸運が引き寄せられる

・持っているものに感謝していると、感謝できるものが増えてゆく。

・持っていないものにばかり意識を向けると、いつになっても満足できない。


2. 幸せでいることは感謝にはつながらないが、感謝は幸せにつながる

・ある瞬間を感謝しつつ、同時にそれに不満を抱くことは不可能に近い。

・今現在幸せであることは、それ以上を望まないということではない。それは今持っているものに感謝し、まだ起きていないことに忍耐強くあるということだ。


3. 感謝は真の許しを育む。それは「この経験があってよかった」と心から言えるということ

・これまでの人生を悔やんだり、責めたりしても意味がない。

・感謝は昨日に意味を与え、今日に平和をもたらし、明日の前向きなビジョンを作り出す。


4. いかなるときも今持っている以上のものが必要になることはない

・昔から至高の祈りとは感謝をすることと言われてきた。何かが欲しいと祈る代わりに、今持っているものに感謝をしよう。

・人生を否定したくなる理由ばかりが浮かぶときは、1つでも肯定できる理由を考えてみよう。いつだって感謝できることは存在する。


5. 感謝は包括的なもの

・よき日は幸せを、不運な日は知恵を授ける。どちらも必要だ。

・あらゆるものがあなたの成長に役立つのだから、何もかもに感謝してしまおう。これは人間関係に特に言えることだ。人生で何でもない人に出会うことはない。袖降りあうのも多生の縁だ。彼らにチャンスを与えれば、誰もがあなたに大切なことを教えてくれる。


6. 現在感謝すべきことがらは永遠ではない

・今持っているものに感謝しよう。なぜなら、次の瞬間何が起きるかなんて誰にも分からないからだ。「今持っている」ものが、「持っていた」ものに変わることだってある。

・人生は毎日変化する。それに伴って、あなたに与えられているものも次第に変化する。


7. 感謝する心は、ものごとを当然などとは思わない

・権利と特権を区別するものは感謝だ。

・今あなたが当然だと思っている状況あるいは人物は、明日あなたが望んでも手に入らないものかもしれない。


8. 感謝を表すのなら、最高の感謝とはそれを声に出すだけでなく、それによって日々を生きることであることを忘れてはいけない

・大切なのは、何を言うかではない。どう生きるかだ。

・喋るだけで終わるな。示せ。約束するだけで終わるな。証明せよ。


9. 感謝は返すことも含む(恩送り)

・慌ただしい日々の中で、自分が与えた以上のものを与えられているとは気づきもしない。そうしたものへの感謝なくして、人生が豊かになることはない。

・他人から差し伸べられた援助の大切さに比べ、自分が成し遂げたことの大切さを過大評価することは容易い。


10. あなたが失った人々や状況への最高の贈り物は、嘆きではなく、感謝だ

・何かが永遠に続かなかったからといって、それが想像できる限りの最高の贈り物ではなかったことにはならない。

・交わった道や巡り合ったチャンスに感謝しよう。それは、あなたに素敵な経験をさせてくれた。


11. 心から感謝するには、心から今を生きること

・人生で与えられていることを数えて、今この瞬間の呼吸とともにスタートしよう。

・忘れがちだが、最大の奇跡とは水の上を歩くことではない。それは緑の地球の上を歩くことだ。今この瞬間に生きて、その価値を生き生きと味わおう。


12. コントロールを手放せば、感謝は倍増する

・人生の些細な部分までコントロールしようと躍起になっているのなら、木を見て森を見ていないのかもしれない。

・手放すこと、少し力を抜くこと、人生の流れに身を任せてみることを学んでみよう。新しいことに挑戦すること、恐れないこと、そして何よりも全力を尽くして、それに満足することを学ぼう。不要な予想を捨て去れば、思いがけない体験が待っている。そして、人生における最高の喜びとは、しばしば想像もしなかった驚きやチャンスのことだ。


人生をいつもより少し感謝して、いつもより少し謙虚に生きよう。そして、自分の幸運を数えてみれば、その数はますます増えていく。

via:marcandangel・翻訳:hiroching

 人生は気づきだ。様々な人々の恩恵を受けているおかげで我々は存在する。生きているだけで儲けものなんだ。不平不満を言うよりも、今ここに存在していることに意義を見いだし、喜怒哀楽を感じることができる感受性を与えてくれた地球の一員である存在に感謝しよう。

 歪んだフィルターをとっぱらえば、一人として同じものはないスペシャルな存在であるミクロな自分と、同じ地球上に地球内生命体としてのマクロな自分がいる。それ以上でもそれ以下でもないのだ。みんな違ったみんなよくて、実はみんな同じなんだ。

出典:
http://karapaia.com/archives/52198381.html




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by miyabinahiro | 2018-08-23 20:12 | Comments(0)
人はだれでも強く、頭が良く、そして人の上に立てる立派な人間でありたいと思っています。

それがかなわないまでも、そうなれればという願望を持っています。 

だから自分には能力がないとか、弱いと言うことは認めたくないのです。 

そう認めることは社会から落ちこぼれることを意味するからです。  

自分が他の人より劣っていることが事実であればあるほど、その事実は認めたくないのです。 

自分の無意識の世界では自分が人より劣っていることを知っているので、

絶対に受け入れられないのです。


それを隠すためにお金もないのに気前のいい振りをしたり、

虚勢を張ったり、知っている振りをしたり、

有名人や政治家とつき合いがあるとか言って自分の弱さを隠そうとするのです。 


弱い人間は次の二つのパターンに分類できると思います。 

ひとつは自分がなにもできないことを認めて、

なにも言えない、なにもしない、なにも決断しないで流れに飲み込まれていくタイプです。 


もうひとつは虚勢を張るタイプです。 

この意味からすれば虚勢を張る人はいがいと寂しがり屋とか、

自分に自信を持てない人が多いと言えるでしょう。



中略


あなたの周りにも威張りたがりやの人がいると思いますが、

一度視点を変えていやなやつだとばかり思わないで観察してみると、

意外なことを発見できるかも知れませんよ。 

威張り散らす人の中には本当の自分を知られることが恐ろしくて、

威張っている人がかなりいると思います。 

「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」と言うことわざがあるように、

本当に自信があって人間ができている人は頭の低い人が多いものです。  

でもこのような人はいったん決断すると、

他の人の言うことは驚くほどきかないこともあります。  

このような人の普段の姿からは考えもつかないような厳しいことや言葉が発せられることもありますが、

それは周囲の人が(正確に言えばあなたが)考え違いをしていただけなのです。 


自信のある人がなぜ普段は頭を低くしていることを気にしないかと言えば、

自分に自信があるからなにを言われても、

いざというときにはなんでもできるという心の余裕があるからです。 

心に余裕のない人は、そのことを隠していないと安心できないのです。



自分の弱さを率直に認めて、

それを克服するために努力する人だけが精神的に本当に強い人になれるのだと思います。 

なぜならそのような人は人間の弱さも知っているので、強さと弱さの両方を知っているからです。  


逆説的で賛成しかねる方も多いとは思いますが、

人間はそもそもが不合理(矛盾)のうえに存在しているからです。 

なにごとも合理性で割り切ろうとするから、よけいな苦労をすることになるのではないでしょうか。 

西洋的な合理主義ですべてを合理化し、

合理化できないものをすぐに排除しようとするから、

すなおに人間を見ることができなくなってしまったのではないでしょうか。 

あなたは自分の恋人や奥さんをなぜ好きになったのかを、合理的に説明できますか。 

説明できたとすれば、それは打算だと言ったらどうしますか。 


弱さを知らない強さは見せかけの強さであって、

はがねのようにもろいものだと思いますが、いかがでしょうか。 

そのような人は自分の価値観や経験で判断できない事態に直面すると、

あわてふためくのではないでしょうか。 


自分の価値観や経験が通用しない世界では、柔軟性がないので対応しきれないのだと思います。 

どんなことやどんなときにも、冷静に対応できる人が心の強い人だと思います。 

ものごとの両面を知っているから、対応が比較的的確にできるのです。 


鋼鉄は折れやすく(もろく)、軟鉄は折れにくいのです(柔軟)。


自分の弱さを認めることは勇気のいることです。 

自分の弱さを認めると、一時的にせよ周囲から奇異の目で見られるかも知れないからです。 

だから周囲の目ばかり気にする人は、自分を変えられないのです。 

周囲の目を必要以上に気にする人は、ものごとを自分の価値観で判断するのではなく、

周囲の価値観によって判断しているから自分を変えようにも変えられなくなってしまうのです。 

自分の価値観にしたがってものごとを判断できれば生き方が楽になります。 

それなのに周囲の価値観に従ってものごとを判断しようとするから苦労ばかりする事になるのです。


なぜなら周囲の価値観が変われば自分の判断基準も変えなくてはいけないからです。


なにごとも習慣づけることが大切なのです。 

一気に大きなことをやろうとしてもなかなかできるものではありません。 

たとえ心構えは十分でも、方法やお金やそのほかの諸々の段取りができないのです。 

方法は経験を通して身に付けていくものなので、

気持ちだけがいくら先行しても全体としてのバランスがとれていないのです。 

なにごとも小さなことから練習して、次第に大きなことにチャレンジすることです。 


小さなことが達成できたことの満足感を軽視すると、

なにごとにも喜びを感じられなくなるような気がします。 

小さなこと・ささいなことをもっと大切にしたいものです。 

このことは気が小さいと言うことではないのです。 

なにごとにも気配りができるということなのです。 

本当の意味で気配りができるということは、気の小さな人にはできないことなのです。 

苦労を苦労と思えなくなってくれば、強くなってきた証拠だと思います。



何度でも繰り返しますが、「自信とは自分で自分を頼ることのできる能力」なのです。 


この世の中のことのほととんですべてが、自分の考え方や見方によって変わってしまうのです。 

それなのに自分の見方や考え方に首尾一貫性がなくなれば、

この世の中のすべてが分からなくなって当然ではないでしょうか。


ことの善し悪しは別にして自分の生き方に首尾一貫性があれば、

そんなに社会や他の人の考えで右往左往させられることはなくなるはずだと思います。 

この世の中のすべてのことの基準は自分だからです。 

その基準がいつまでもぐらぐらしているから、生きることが苦しくなるのです。



出典:「自分の弱さを認められる人だけが強くなれる」より





その基準がいつまでもぐらぐらしているから、生きることが苦しくなるのです。

・・・なるほど。


自分の弱さを1番よく知っているのは自分の心です。

認めると気づきも増えて、

そして人を思いやる心が生まれるのかもしれません。

「変化すること」・・・

ほんの少しばかりの「勇気」があれば叶うと思います。




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by miyabinahiro | 2018-08-21 19:50 | Comments(0)

無題


野々村病院物語に出て来るようなK医院があります。

腰が低く、穏やかで優しい院長先生がいらっしゃいます。

看護師の皆様も温かいです。

こちらは殆どの先生が国立大ご出身ですが、

威圧感なく、話しやすく質問しやすい先生にお逢いするとホッとします。


K医院の帰りに行きつけの美容院で髪をカットしてもらいました。

「顔はまったく違いますが、米倉涼子みたいにお願いします。」

とお決まりの無理難題なオーダーをします。

いつもの美容師さんがお休みでした。

急遽初めまして・・・の美容師さんが担当してくれました。

東京に15年いらしたとのこと。

米倉涼子・・・の名前に、

「オスカー近くの美容室にいました。」と即答でした。

「へっ? 米倉涼子のですか?」と目を見開いた私。


米倉涼子ははやり実物の方が美しいそうです。



記事にはして来ませんでしたが、

面と向かってある人から私の欠点を言われた場面がありました。

人格否定そのものでした。

言われた瞬間は余りにも的を射ていたので何も言い返せず。

内心「そこまで言うか・・・」と思いましたが、

その通りだから。


やや時間が経過し、

今は感謝しています。


私は何を勘違いして来たのだろう。







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by miyabinahiro | 2018-08-17 20:36 | Comments(0)

主任ケアマネの資格を活かせるだろうか?と、

ある居宅支援事業所の面接に出向きました。

(その事業所は訪問介護事業所も併設していました。)

管理者ではなく、ケアマネとして。


昨年、主任ケアマネ研修を受講した際に、

大きなショックを受けました。

居宅のケアマネとの大きなズレをイヤというほど思い知ったのです。


「私は浦島太郎みたい。私の知識は古い、

 情報が入って来ない環境とはこういうことか。」



・・・その会社の面接中に、「いつから来れますか?」と言って頂きました。

(へっ? 即決?)



翌日、契約書を発行するから出勤して欲しいと言われました。

(う・・・ん いいのかなぁ)


会社に出向き、契約書内容の説明を受けました。

・・・が、

なんとその契約書のどこにも「ケアマネ」の文字がなく、

「従事すべき業務の内容」には

・訪問介護サービスの提供およびこれに関連する付帯業務(別途勤務表で明示する)

・ただし、業務上の必要がある場合、担当職務、あるいは職種の変更を命じることがある。

他には深夜手当て25%、休日出勤35%・・・、


「これって、ヘルパーの契約書だ・・・」


即刻採用辞退しました。


6年くらい前にも同じことがありました。

ケアマネとして来て欲しいとご奇特にもスカウトを受け、

いざ出勤して契約書を見ると、

「介護職員」としての契約でした。


多くの事業所が介護職員を募集しているのでしょう。

でも「だます」のは残念です。



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by miyabinahiro | 2018-08-13 10:59 | Comments(0)