ケアマネmakoのひとりごと

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虎なmakoです。

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人間だけ。


人間だけが残酷になれる。


仕事で西区の病院に行く際に、

事件があった場所の近くを通る。

「あぁ、あの辺りか。」


以前も記事にしたが、こちらは道路の道幅が狭い。

こちらの渋滞要因は車の数が多いからではなく、道幅が狭いからだろう。

住宅街はより一層狭い道路が普通である。

昔から裕福層は西区に住むという。

西区青山とは、東京の青山よりも歴史が長いだろうか。

家同志の距離が狭い理由が理解できない。

プライバシーを守るために、音を出さずにそっと暮らすのだろうか。

財力があるならば、隣家との距離を多く取らないのはなぜだろう。


・・・そんなことを思いながら西区界隈を走ってしまう。


「あの家の子供は○○高校に進んだって。△△さんの家の娘は・・・」

こちらから聞かなくてもベラベラ話す品のない人種はどこにでもいる。

それは土地がどんなに品が良くとも、そこに住む人格に問題がある場合である。

・・・だから、今回の事件は容疑者逮捕に繋がったのだろうか。


話しを冒頭に戻そう。

人間は生きるために殺人は犯さない。

命をつなぐために相手の命を殺めるのは動物だけである。


「その行為」は、人であるならば「善悪」に気づくであろう。

だから昔から善悪の判断がつかない人間を「人でなし」と揶揄するのだろう。

容疑者の家族も生涯、そんな十字架を背負って行くことになる。

家族だというならば、ともに十字架の重さに耐えて行け。

良いときばかりが家族ではないのだから。


容疑者が犯人ならば、矯正できるだろうか。

眼鏡のように、どの専門家が矯正できるものだろうか。

その人間自身が気づかないうちは、

周囲の協力は徒労に終わってしまうのではないか。




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by miyabinahiro | 2018-05-15 10:03 | Comments(0)