試練・・・ですか。


「神は乗り越えられない試練を与えない」という、

人間の最大のエゴイズムと思える言葉があります。


神が存在するならば、

神が創造したという人間に、

試練を与える理由は何なのかと「矛盾」を感じます。


普段は恐らく忘れているだろう神や仏の存在を、

人間の都合で持ち出してくる滑稽さがあります。


受験のときや頼みごとをするとき、

普段は忘れている神に、

『神様、助けてください。』

『神様、合格しますように。』

『神様、彼と結婚できますように。』

・・・そうやって祈る姿があります。


願いが叶えば「神は存在」し、

願いが叶わなければ「神も仏もあったものじゃない」と言う。



その願いを叶えたいならそれに見合った努力をすること。

そこに「都合よく」「運」までもが介入してくると思い込むから複雑になるのです。


『ケアマネジャーの試験に合格しました。

 これは一重に神様のお陰です。

 神様がお力を与えてくださったのです。』

・・・と本気で思うなら、

ケアマネジャーでいる限りエゴイズムな考えは生まれないはずです。

神様に感謝して感謝して業務に従事するはずですからね。


「その時だけ」、

あるいは「エゴイズムを満たすときだけ」、

神様を持ち出していたからこそ、

「私はケアマネなのよ。」という傲慢さが姿を現すのです。

それは他の職業においても言えることでしょう。

「だって、合格したのは私の力だもーん。」が本音なのでしょうね。


よって・・・

神様がね、愛して止まない人間を苦しめるとは考えにくいです。

都合よく、「試練」を与えたもうものか。


「試練」と思うから重い。

「試練」と思うからつらい。


試練などではなく、

それは「その人にとって必要なこと」。

或いは、

過去の過ちに気づかないがために繰り返し訪れた機会。


「変わらない自分に気づくため」のチャンス。

「変わるため」に訪れたチャンス。


・・・だからね、

見ようという気持ちがあればチャンスは何回でも訪れていることを知るはずです。


不幸になりたくない、不幸になりたくない・・・と思うから不幸を呼ぶのです。

幸せになりたい、幸せになりたい・・・と思えばいいのです。

離婚したくない、離婚したくない・・・ではなく、

この夫(妻)とずっと一緒にいたい、ずーっと一緒にいたい・・・と願えばいいのです。


そうすれば幸せになるためにはどうしたらいいのか。

結婚のスタイルを続けたいならどんな努力をすればいいのか。

「その」発想の原点からして変わってくるのではないでしょうか。


言い方を換えるなら、

「やせたいやせたい」と願うなら人並み以上に食べないことです。

努力もせずに、誰もがスーパーモデルにはなっていないでしょう。


精一杯、精一杯ね、

自分の幸せを願うならば、

誰かの不幸を喜んだり、誰かを妬む心の余地などありません。

人の不幸を願うあいだは自分にも同様の不幸が訪れます。

それが自然の流れだからです。


原因があるから結果が訪れるのです。

その原因(自分)に気づき、

結果を善いものに変(換)えて行けるのも自分しかいないのです。


誰しもが、大きな愛に包まれていること。

誰しもが、深い愛に満たされていること。


そのことにいつ気づくか・・・です。





お伝えした通り、

気づく方だけでいいのですから。

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by miyabinahiro | 2012-08-21 02:06 | Comments(0)