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幸福・不幸

人間が不幸なのは

自分が幸福であることを知らないから。

それだけです。

これがいっさい、いっさいなんです。

それを知るものはただちに幸福になる。

その瞬間に。
 

ドフトエフスキー



愚か者は遠いところに

幸せを探し求め、

利口者は自分の足元に

それを育てる。
 


ジェームズ・オッペンハイム




運命は我らを幸福にも不幸にもしない。

ただその材料と種子を我らに提供するだけである。


ミシェル・ド・モンテーニュ




人生における本当の喜びと幸せは、

あなたが与えて与えて、

そして、さらに与え続けて、

その代償を決して考えない時に

見つかります。


アイリーン・キャディ



貧乏で、賢明な両親のもとに生まれることは、

子どもにとって一番幸せなことだ。
 


アンドリュー・カーネギー




上り坂と下り坂は、

一つの同じ坂である。


ヘラクレイトス



出典:幸福・不幸より



これらの言葉達は、

100年~1,500年も前に言われたもの。

『・・・そうだな。』って思いますか?


そうですか。

それはよかった。

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by miyabinahiro | 2012-09-30 20:29 | Comments(0)

コちゃんとあいぼう


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コちゃんの代わりはいない。

あなたの代わりもいない。

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by miyabinahiro | 2012-09-30 12:36 | Comments(0)

Tokyo Route 246

『ちょっとドライブにつきあって。』

・・・なーんて、金城さんが言うわけないか。


今頃なにしているのかな・・・

この時間じゃ寝てるわよ。






一度でいいから金城さんに会ってみたい・・・と願い、

もしもそれが叶えばもう一度だけ会いたいと思う。

それだけで良かったはずなのに、

次は連絡先を知りたいと思い、

それが叶えば電話で話したいと思い、

次は一緒に食事をしたいと思い、

それが叶えば次はどんなところに住んでいるのかなと思い・・・

・・・

人間とはこうして欲望と引き換えに感謝を忘れていく生きものなり。



妄想だけに留めておこう・・・っと。

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by miyabinahiro | 2012-09-30 03:57 | Comments(0)

message


私の顔を見れば必ず笑顔で近寄って来て、

人の悪口を言い始めるヘルパーがいる。

『makoさんに話すとすっきりするの^^』だそうだ。


「・・・そうか。」

私が彼女の話しを聴くからこのヘルパーは悪口を並べたてるのだ。

聴かなければいいのだ。


だから終わりにした、

『もう聴きたくないの。』と。

彼女は二度と私には近寄らないだろう。

彼女にとって、

私ははけ口でしかなかったのだから。

双方のために終わらせて良かったのだ。


このブログの私の言葉は罵詈雑言であり、公開処刑というそうだ。

「ひどいことを言うわね。」

「なにもそこまで言わなくても・・・」

「書かれる(記事にされる)人の身になってよ。」

・・・

一生気がつかないほうが良かったのなら、

心から思います、『二度とアクセスしませんように。』と。


それでも尚、なぜ、あなたはこのブログにアクセスするのですか?

『自分のことが書かれてしまうんじゃないかって思う。』・・・から?


それだけのことをあなたがしたのです。


それから、

そう思うあなたのことには二度と触れていない(削除している)はずですよ。


あなたは私に何を求めているのでしょうか?

求めるだけの何かをあなたは相手に与えてきたでしょうか?


時間、心、優しさ、愛・・・

それらを奪うことばかり考えた「その心」に、

そろそろ気づいてもいい頃です。




与えるものが受け取るものなのだから。

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by miyabinahiro | 2012-09-29 22:51 | Comments(0)

ハートにささった『結婚式』の名セリフ

兄が「なんで女って結婚式にこだわるんだろう」って言ったとき、

奥さんが、「あのね、親戚とか友達とか、

 自分の大事な人達がみんな集まってくれるのは人生で3回しかないんだよ。

生まれたときと結婚式とお葬式。

その中で記憶に残るのは結婚式だけでしょ?」って。

なんか心に響いた。



今日の結婚式で牧師の先生が、

「相手の欠点が見えたときは、

 自分がそれを補うために存在しているのだと思いなさい。」って言ってて良いなと思った。



急用で親友の結婚式に出席できなかった女が言った。

「次は絶対に行くから!」



結婚式招待状の返信用ハガキの「メッセージ」の欄って何書いたらいいのか分からん。

”裏切り者に死を”とか書いたらいいのかな。



友人の結婚式で貰った、引き出物。

ラブラブな二人の写真がプリントされたマグカップ。

なんと、温めると2人がキスしてる写真が浮かび上がってきた。

すげえ。

躊躇(ちゅうちょ)無く割った。




出典:「ハートにささった『結婚式』の名セリフ」より

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by miyabinahiro | 2012-09-29 22:07 | Comments(0)

たった一度きりの人生だから


私に限らず、地元でもなければ、

その土地の国立大学の詳細を知る機会はないと思います。


私自身、こちらの国立大学は過去に耳にしたことがなく、

漠然と『この大学は国立なのだろうか、救急があるから国立なのかな?』

・・・ぐらいの意識しかありませんでした。

況してや親戚がいるでなし、

縁(ゆかり)がないのだから話題になることもありませんでした。

私立大学ならば医療系に限ってですが、

中学生のころから聞かされておりましたので、

九州沖縄に至るまで殆どの私立大学ならば知る環境にありました。

大学進学のために出身地を離れるのは疑問に思うこともなく、

言い換えるならばそれが当たり前でしたので、

こちらに来て、

私が進学した大学が東京であったがために、

『出身が東北で、大学が東京だなんて転々としているのね。』

・・・と言われたときは、私のほうが驚きました。

『大学に進学する人のほうが少ないのだろうか?

 ・・・それならば大学の話題はしないでおこう。』と。


出身地近郊の国立大学ならば、

私は幼いころからその名前を聞き慣れて育ちました。

それは、弘前大学、秋田大学、東北大学、山形大学。

(ちなみに岩手は国立大学に医学部はありません。)

 
関東の国立大学は別格である印象が強く、

私など足下にも及ばないので始めから受験しようとは考えませんでした。

(関東の成績優秀な高校生の学力は桁違いですからね。

 東大の理Ⅲや東京医科歯科大学に合格する彼らは、

 どのような脳の構造をしているのだろう。)


子どもが、夏休み明けの河合塾模試の結果を持って来ました。

こちらの大学ならば合格圏内のようです。

但し、わが子をもこの土地に残す意思はありませんので、

学力の単なる目安でしかありません。

また、全国の順位も数字として知ることができました。



亡くなった直ぐ下の弟は金沢の大学に進学しました。

出身高校は都内の独協高校。

話しは逸れますが、

独協高校の学生も非常におしゃれな印象がありました。

地方出身の高校生が、

東京の大学に進学した際にショックを受けるのも無理からぬことです。

言葉の違いもありますしね。



生涯その土地を離れないというならば、黙って留まったほうが良いようです。

なまじ他の世界は知らないほうが良いのかもしれません。

しかし、目的意識がしっかりしていて、

場所をどこに移そうが問わないというならば、

関東であろうが関西であろうが何ひとつも揺らぐものではないのでしょう。


余談ですが、

『東京は遊びに行くところで、住むところじゃない。

 道は狭いし、ゴミゴミして・・・』と言う人がいます。

東京のほんの僅かな針の穴程度の場面を見て、

さも東京を知っているかのような言い方は実に滑稽です。


立ち位置を換えて東京から見れば、

『なんと狭い道路だろう、これだけ土地があるのに。 

 それに人も閉鎖的だ。

 日本海側にあるらしいけれど、地図での詳しい位置関係はわからない。』

・・・という印象になるのかもしれません。


現に札幌の友人は、

未だにこちらを東北だと思っています。

何度か説明しましたが、覚える気もない様子です。

私の友人が特別ではないのでしょう。

震災があったときも、

子どもの札幌の友人たちでさえ私たちの安否を心配しましたから、

もしかしたら、

全部ではないにしても札幌の人にとっても印象が薄い土地なのでしょう。

小学校の社会で習わなかったのか?って?

学習と興味は別ですからね、

土地の印象が強いかそうでないか・・・です。



関東圏や北海道の大学が、

わが息子の成績では箸にも棒にもかからないと言うならば致し方ありませんが、

僅かでも可能性があるならば、その道を歩んで欲しいと願います。


いずれわが子は自分の力で人生を歩むのです。

そのとき、

自分の軌跡そのものが自分を守って行くものであることを願います。




たった一度きりの人生だから。

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by miyabinahiro | 2012-09-28 22:23 | Comments(0)

功徳


※震災後の記事です。

 再びお読みいただきたいと思いました。



お前の功徳になんでわしが礼を言わねばならないのか

一誠拙周樗一


江戸時代の円覚寺の住職、

誠拙は円覚寺の山門を新築しようと寄進を募った。

豪商白木屋は金百両を寄付したが、

誠拙は「ああそうか」と言ったきりだった。

白木屋も不満を感じ、

「百両は私にとっても大金です。

 何かお礼を言ってくれてもよいではありませんか」

と言った。

誠拙は

「お前が功徳を積んでお前が幸せになるのに、

 何故わしがお礼を言わねばならないのだ」

と言ったという。


功徳はすべて自分のためとのお示しである。


浜松医科大学名誉教授 高田明和


出典:「心が折れない人の習慣」より




被災地にボランティアに出向いた方々は、

「お礼を言って欲しいから」が目的ではなかったと思います。

「ただただ誰か(何か)の力になりたい」という想いが、

行動になって表れたのでしょう。


「どうしてあの人はありがとうも言えないの?」

日頃の何気ない出来事にも、

そんな感情に出逢うことがあるでしょう。


「あんなにしてやったのに・・・」


「してやった」なら、

してやったままで良いではありませんか。


以前も同じ文言を記事にいたしました。

見返りを期待するのが人の心なのでしょうね。

「見返りを期待する」という「欲望」を満たしたい・・・


自分が良いと思い、

誰からも強制されたわけでもない言葉や行動。

それならば、

先ずは相手からの見返りを期待しないことを知れば、

自分自身の心は軽くなるものかもしれません。


功徳を積むとは、

何も有名な神社に出向き、

有名な住職から説教を頂戴することだけではなく、

日頃の小さな出来事の中においてできるものなのでしょう。

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by miyabinahiro | 2012-09-28 12:42 | Comments(0)

silent killer

マナーを伝えられない親がいます。

正確には「いました。」です。

それは、私の父と母。

仏になった両親に鞭打つことはつらいですがお聞きください。


マナーのひとつも教えられない親は「虐待」に匹敵すると申し上げたのは、

私自身が無知が故に「生き恥を曝す」が如くの人生であったからです。


親であるならば、

叶うものならわが子に苦労はさせたくないものでしょう。

しかしながら、

魚を与えるばかりで魚を釣る方法を学ばせなければ人の心は育ちません。



料理をすることが不得手だった私は、

わが息子に「離乳食」を作ったことがありませんでした。

離乳食とは買うものだと思っていたのです。


玉子焼きも満足に作れず、「ニラ玉」の意味も知らず、

保育園で習ったという「きゅうりの塩もみ」を、

当時5才だったわが子から学び、

「焼きなす」を知らないからご利用者を怒らせ、

「煮魚を作って」と言われれば、

お水をお鍋いっぱいに入れて沸騰させて、

「あなたは何を作る気なの?」と呆れられました。


以下は父と母が私に言った言葉です。

「料理なんか覚えるヒマがあったら勉強しなさい。」

「家のことなんか何もできなくていい。」

「友達など必要なし。」

「兄弟といえどもライバルだ、気安く話すな。」

「映画なんか観る必要もない。」

「化粧も30才までするな。」

「靴は運動靴でいい。」

「髪の毛は伸ばすな。」

「makoは血液型は何型だ?

 不良っていうのはうちの家系にはいないからなぁ・・・

 お父さんの子供じゃないな、お母さんの家系だ。」


「コーラは体に良くないからうちでは飲まないの、

 でもmakoは飲んでもいいのよ。」

「弁護士ってイヤな仕事ね、だって殺人者の弁護もするのよ、

 殺人犯なんか全員死刑にすればいいの。 」

「悩み事は話さないでね、決めるのは自分なんだから。」

「家事なんて頭を使わないから。ただやればいいから楽よ。」


この程度の言葉など日常的にありました。


そうして世間に向かっては、

決まって「娘をわがままに育てたものですから。」と言う父がいました。


心から思いました、

「わがままとはどういう意味の言葉なのだろう。」・・・と。


マナーを知らずに社会に放り出た私には、

見るもの聴くもののほとんどが異次元的でした。


女性を顔だけで判断していた父はふくよかな女性をも嫌い、

「美人でない女性は生きる意味がない。」と言い放ちました。

父そっくりの私が美人であるはずもないのに、

また、今現在よりも20キロ以上も体重があった私を愛せなかったのでしょう。


父は、太っている私を殴れば痩せるとでも思っていたのかもしれません。

だから簡単に暴力を振るえたのだと思います。


結果、幼いころからコンプレックスだけを植えつけられて育ってしまいました。



私は、人間性や人としてのマナーの何たるかを両親から学んではおりません。

両親が知らなかったのだから教えられるはずもないのですから。


学歴が高いから人間性があるのではありません。

学歴も高く人間性もある人が存在するのです。


医者だから人としても優れているのではありません。

医者の中に、人としても優れている人がいるのです。



子供に真実の意味で苦労をさせたくないのであれば、

親の立ち位置にいる人は気づかねばなりません。


無知であることに気づくこと。

人として無知であるが故に人間性や学歴は必ずしも一致しない人がいること。



親の立ち位置にいる人は、

無知というsilent killerによって子供を虐待してはなりません。


わが子を愛しているならばです。

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by miyabinahiro | 2012-09-27 21:33 | Comments(0)

『あの日 あの時 愛の記憶』

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生き別れ、亡くなったはずの恋人が姿をあらわす『あの日 あの時 愛の記憶』

ナチス・ドイツの収容所で出会った恋人。

30年後、彼の声がテレビから聞こえる――。実話を基にした奇跡のラブストーリー。



アウシュヴィッツ収容所から脱走した恋人同士が39年ぶりに再会するという、驚愕の実話を完全映画化。


  すべての人の切ない恋の記憶を蘇らせる、『ひまわり』『シェルブールの雨傘』などの名作に続く新たな感動作が誕生しました。

 主人公ハンナの記憶と現在の姿を交差させ、戦争によって引き咲かれた愛を描くのはアンナ・ジャスティス監督と脚本家のパメラ・カッツ。女性ならではの視点で描かれたラブストーリーは、多くの女性の共感を生むことでしょう。

 ハンナ(ダグマー・マンツェル)はニューヨークで、夫と娘とともに幸せな生活を送っていた。そんなある日、テレビから突然聞き覚えのある声が聞こえる。それは30年前、亡くなったと聞かされたかつての恋人の声だった。

 1944年、ハンナは政治犯トマシュ(マテウス・ダミエッキ)とナチス・ドイツのアウシュヴィッツ収容所で出会い、恋に落ちる。

 二人は脱走に成功するが、戦争の混乱状態の中で生き別れてしまう。やがてハンナは赤十字社にトマシュの捜索を依頼すると「推定死亡」と聞かされ、その後、人生を歩むために彼のことを思い出さないようにしていた。

  その30年後、聞き覚えのあるトマシュの声が愛と悲しみの記憶を駆け巡らせる。そしてハンナはトマシュを探すため、赤十字社に電話をかける――。


出典:『あの日 あの時 愛の記憶』より






「明日もまた会える」と思えるからわがままを言える。

「この人に二度と会えない」なら、

あなたは後悔しませんか?

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by miyabinahiro | 2012-09-27 19:17 | 映画 | Comments(0)

なのでぇ。

耳に残ってしまい、耳からも記憶からも離れない他人の口癖があります。


「なのでぇ」から話し始めたり、会話の中に何度も「なのでぇ」を挟む人。

例えばね、

「今日は車が混んでてさ、なのでぇ、遅刻するかと思った。」

・・・なにも「~ぇ」と語尾を伸ばさなくとも良さそうなものだ。

20代くらいの可愛い女性が言うならまだ我慢できるが、

明日にでも60を迎える女性がこれでは、

私ならば会話そのものを止めてしまう。


黙って聴いていればまだあった。

「ベッドをジャッギアップして。」・・・?


それを言うなら「ギャッジアップ」でしょう。


「あんたの言うことは確かに的を得てる。」・・・?

「世の中、ピンキリなんだから、ピンじゃなきゃいいよ。」・・・?

「とんでもございません。」・・・?

「お大事になさってください。」・・・?

「いただいてください。」・・・?

「お召し上がりになられていました。」・・・?

「お休みになっておりました。」・・・?


(現実社会にて、相手に面と向かって指摘することは難しいことは理解できます。)


言葉の使い方も意味も知らなくても生きていけるからいいのか。


人前で話す、福祉業界の講師にも誤った日本語を話す人間がいる。

100人単位の人の前で無知を披露する姿は見るのもつらく、話しを聴くのもつらい。


私は指摘もしないし、聞き流す努力をするばかりで、

講義の内容など心にも届かなかった経験がある。

そして、大学の教授が教授であるのには理由があることを痛感する瞬間でもあった。

人に講義をする、人様に正しい日本語と知識を伝えられるから教授なのだ。

正しい日本語や知識、良識等を相手に教えそして授けられるから教授なのだ。

誰かが必ず教授になり、と同時に誰でもがなれる存在ではない。



「先生」と呼ばれるのには理由があるのだが、

「緊張せずに話せるから先生」ではないのに、

「先生」と呼ばれることを否定しない講師が存在するのは非常に滑稽である。



いいのでしょうね、福祉関係の人も制度だけを知っていれば。

いいのでしょう、医療関係の人も医療の知識だけ長けていれば。


マナーだとか、会話の技術だとか、立ち居振る舞いなど知らなくても務まるのだから。

相手が不快に感じていることなど気にしなくても務まるのだから。


マナーを知らなくても生きられますし・・・ね。


それが親の代で終わるならいいが、

無知を子供に伝え、そうしてつないでいるのだから、

これも一種の虐待ではないのだろうか。

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by miyabinahiro | 2012-09-26 20:12 | マナー | Comments(0)