カテゴリ:兄( 8 )

『人には優しくしなさい。』

『人には優しくしなさい。』


生前の兄の言葉です。


未だにそれができない私がいます。



条件をつけて相手を見てしまう。


『されてイヤなことはしないようにしましょう。』などと、


尤もらしいことを言いながら私ができない。


生き難くしているのは私の弱さとegoismだ。


肯定することの尊さを説きながら、


否定的な見方から始め、相手を判断してしまう。


身近な人の幸せを願えないなら遠くの人の幸せを願うのは順番が違う。



『人には優しくしなさい。』


そうか、


優しい人には言わない言葉であることを、今日のこの日に気づく。


一瞬、笑った兄の顔が今、見えた気がした。

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by miyabinahiro | 2014-09-11 01:44 | | Comments(0)

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by miyabinahiro | 2014-03-22 12:54 | | Comments(0)

Friend










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by miyabinahiro | 2014-03-21 13:09 | | Comments(0)

ごめんなさい

他界した兄がよく口にした言葉がある。


『(父を)院長先生って持ち上げなきゃ機嫌が悪くなるんだろ?

医者の技術も知識もその院長先生より進んでいるんだよ。』


『(父に)お兄さんが院長先生って呼びますよ。』

と、私の精一杯の皮肉を込めて言ったことがあった。


父は、『無礼な物言いだな!お父様と呼ぶように伝えなさい。』


・・・と。





それでも幾つかの優しい言葉を父から学んだ。


『ごめんなさいと言われて気分の悪い人はいないものだ。』



ごめんなさい



素直に言えるなら、


自分も楽(ラク)になるのでしょう。




あなたは素直に『ごめんなさい』を言えますか?

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by miyabinahiro | 2013-09-16 20:56 | | Comments(0)

長男の嫁


ずーっと前ね、故若山富三郎(故勝新太郎氏兄)氏がこう言っていました。

「(問題が多かった勝新さんの)妻の玉緒さんがかわいそうだと思うんですが・・・」

と言ったテレビリポーターに対し、

『何がかわいそうなんだ、

 イヤなら別れりゃいいじゃないか。(玉緒は)妻でいたいんだろ?』と。


今でも思います、的を射た言葉であると。


誤解されている方がいらっしゃるようで、

お伝えしたほうが善いのかと考えました。


他界した兄についてです。

兄が結婚するにあたり結納云々を行ったのは、

母が他界して四十九日も経っていないときのことでした。

元々実家は「常識」とはかけ離れていた家でしたが、

「母に対して無礼です。」と私は父に言いました。

しかも母が大反対していた女性が自分の息子の結婚相手だったのだから。


兄には女医の見合い相手がいました。

経歴他、美人であること、申し分のない女性でした。


父という人は「女性は美人であること」が信条だったので、

恥かしながら、

父を見ていると女性に対する基準というものが見て取れました。

病院にて父が面接をしていた頃は美しい顔(心はどうか別として)の看護婦しか採用しませんでした。


何度か「女性も顔より心が美しいほうがいい。」と父に言いましたが、

父にはまったく伝わりませんでした。

父にとって女性とは家事ができることや優しさは4の5の次以上の要素だったのです。


兄が見合い相手を断ったとき、父の怒りは持って行き場のないものだったそうです。

父曰く「この女性(見合い相手)を超える女性なんだな?」と。


兄が会わせた別の女性(兄の妻)をチラっと見て父は落胆したと云います。

何度か父が『はぁ・・・レベルが低い。』と溜め息をついていたのを今でも覚えています。


「母が他界しても尚、こんな無礼な事しか言えないのか・・・」と思いました。

そうして程なくして私は家を出て北海道へ行きました。

兄が結婚したのは平成3年の5月だったでしょうか。


父は父の姉の娘の結婚式並びに披露宴会場に帝国ホテルを選びました。

それは父の姉の娘がかなりの美人だったからであり、

「日本一の結婚式を挙げさせたい。」という理由からでした。



兄の結婚相手が冴えない女性であるだけの理由で、

自分の息子の結婚式であるのに、姪ほどの力を入れることはありませんでした。


平成8年3月、父が亡くなりました。

私は兄の妻という女性には会ったことはありませんでしたが、

あの父の傍で「長男の嫁」を務めてくれたことに敬意を表したいと心から思いました。

かなり忍耐強いのかそれほど兄を愛していたのかは分かりません。


電話で話すことが事実上の「初対面?」となりました。

私から『・・・これまで父の傍に居てくださってありがとうございました。』と言うと、

兄の妻は『・・・はい。』とひと言。

(かよわい女性なのかな?)と一瞬思いました。


翌日、兄の妻から電話があり、

『今だから言えるけど、ほんとに非道い扱いを受けて来たのよ、人間扱いされなかった。

・・・時代錯誤もいいとこだし、あれは化け物ね。 

 あなたのお兄(夫)さんも冷たかったし、私を助けてくれなかった。

 まだまだ言い足りないから明日また電話するね、(父の)女性関係のことも教えてあげる(笑)。 』


・・・私は愕然とした。


泣きながら私は兄の妻に謝罪しました。

なんどもなんども『申し訳ありませんでした。』と。



直ぐ下の弟の訃報が入った平成9年、

兄の妻からこんな電話が入りました。

『すぐ帰って来て、最期のお顔を見て。』

私は実家に到着する時間を兄の妻に伝えました。

兄の妻はこう言ったのです、

『makoちゃんに会わせてから出棺することにするね。』


午後2時に実家に着くことを伝えていた筈だった。


実家に行くと、兄の妻の母親からこう言われました。

『あら!午後2時から火葬なのよ、娘が伝えていなかったの?』


はぁ・・・?



翌日、遺影を見つめる私がいました。

喪服を着た兄の妻が私にあるものを手渡しました。

『これ、(弟の)骨の一部なの。受け取ってね。』


(この女は一体何を考えているのか。

 第一、電話で話した以外この女性と会ったのはこのときが初めてだった。)


そして兄の妻はこう続けて言った。

『(私の)弟と私は愛し合っていたの、私の弟なのよ、骨を大切にしてね。』


私は言葉が何も出て来なかった。



私は生前の兄に手紙を書きました。

『私には、兄さんが何故あの女性と結婚したのか理由がまったく理解できません。

 父親を中傷されて嬉しい娘がいるものでしょうか?

 (弟の)最期に私を会わせなかったのは、

 父からの仕打ちを私に返した・・・つまりは江戸の仇を・・・という意味だったのでしょうか?』



弟の遺影を見つめるしかできなかった私が札幌に戻った日、

兄の妻から電話が入った。


『昨日はありがとうございました。

 私の弟にお線香をあげてくれて。』


発する言葉のひとつひとつが聴く者の神経を逆なでにする。

・・・あの女性の親の顔を見てみたいものだ。



末の弟が言いました、

『癇(かん)に障る言い方しかできないから親父が人生の最後に嫌った女性だったんだ。』



兄の妻なる女性へ

父はあなたの外見以上に、心をも嫌っていただけのことです。


勘違いによってその身を苦しめ、他者を苦しめるよりも、

そんなにイヤなら別れれば良かったのです。

自分の身内まで役員にするとは、


あなたが本当に欲しかったものは何だったのでしょう。




弟の亡骸に会えずにいる私は、

今もどこかで弟が生きているのではないか・・・

そう思います。

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by miyabinahiro | 2012-04-25 14:28 | | Comments(0)

時計


日頃、時計をする習慣がなかった私のことを覚えていた兄が、

亡くなる1ケ月前に贈ってくれました。

今では形見になってしまいました。

10年の時を刻んでいます。


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学生時代は「JJ」なる雑誌を購読していましたが、

今はまったく関心がありません。

当時はヒールを履く習慣がありましたから、

外反母趾にもなりかけていました。


今は、おしゃれに凝る男性も好みませんし、

清潔であればいいですね。


独身男性と既婚男性の違いは外見に表れるように思います。

あるポイントがありますが、

それを見抜く視点についてはいずれ・・・ね。

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by miyabinahiro | 2011-12-02 20:27 | | Comments(0)


兄が急逝したのは平成13年のことです。

自分自身に非常に厳しい兄でした。


兄は中学時代から、将来の職業として外交官になるべく準備をしていました。

よく、文系が得意とか理数系が強いと聞きますが兄は万能でした。

特に英語において、同時通訳をするほどの力は周知の事実でした。

兄は土下座をして、進路を認めて欲しいと父に懇願したと云います。

父から「お前は長男だから、自由は許されない。」と言われ、

兄の夢は絶たれました。



親の夢はあくまでも親の夢です。

子どもの夢は、子どもという一個の人間の夢です。


もし、仮に、例えば・・・と言えるなら、

兄が望まない道に我が子の為という「大義名分」で、

父がエゴを押し付けなかったなら、

兄は今でも存在していたでしょう。


その人が行きたい道を歩ませること、

選択肢を与えること、

エゴはエゴでしかないことを、

エゴは決して愛にはなり得ないことを、

兄が兄の命をもって教えてくれたのです。
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by miyabinahiro | 2009-10-20 22:38 | | Comments(4)

慟哭

寂しさでこらえきれなくなります

寂しさで涙がながれます





ひとりにしないで

ずっと一緒にいてくれるって・・・

約束したのに
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by miyabinahiro | 2009-09-16 20:02 | | Comments(2)