ケアマネmakoのひとりごと

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カテゴリ:父( 7 )

メッセージ


コメントを誠に有難う存じます。

何度も何度も読み返しました。

今、非常に手が震えております。


確執がありながらも、父、兄、弟を想わぬ日はございません。

息子を持つ身となり、

父が、母が、


如何なる荒波をも越えねばならなかった、


それには涙も弱音も呑み込んだとの意味を分かり始めております。


しかしながら、

今少しお待ちくださいませ。


もう少し、父を赦すまでお時間を戴きたく存じます。


有難うございます。

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by miyabinahiro | 2014-03-18 04:28 | | Comments(2)

PUNCTUM


【PUNCTUM プンクトゥウム】

 フランスの哲学者ロラン・バルトが、その著作「明るい部屋」の中で写真映像の世界で、一般的な思い入れでコード化された意味を「ストゥディウム」とい い、その編み目を突き破って、見ているものをさしつらぬく力を「プンクトゥウム」(さし傷、小さな斑点)と、名づけました。

ドイツ語でpunktum 英語でperiodという意味ですが、哲学的にはまたいろんな意味があるようです。

特異点、結節点とか。

ラテン語で刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のこと。



出典:PUNCTUM意味より


父がよく使った単語です。

父が学生時代

英語の試験で99点を取ったことがあったそうです。

父曰く、『満点以外それまでなかった。1点足りない理由がわからなかった。

当時の教師に難癖つけようと抗議に行ったらプンクトが無かったからだそうだ。

何がプンクトだ、どうせなら正しくプンクトゥウムって発音すればいいものを。

お父さんが英語の発音が悪いのはあの教師の英語が見事なジャパニーズだったからだ。』


父の、ある1人の恩師が教職を退いたあと地元の住職をしていました。

その住職は私を「孫」だと言ってく大切にしてくださいました。

事実上の祖父ではありませんでしたが、

私の父をご自身の息子の如く想い、生涯の師弟関係となりました。


その住職に父の学生時代の話しを聞いたことがありました。

あの通りの父だったのですか?


住職曰く、『父君はね、体が弱い生徒でね当時は非常におとなしく本ばかりを読んでいたよ。

今とはまったく違う生徒だった。

父君の母親(私の祖母)がこう言ったそうだ、

「将来は医者か弁護士になりなさい、

ひと様のお役に立てるような人になりなさい。」とね、

そして父君は医者の道を選んだんだよ。』


父がおとなしい・・・?

心から驚いた言葉でした。


父が「おとなしい・・・ねぇ。」 005.gif034.gif046.gif


司法試験が国家試験の中では最高峰ですが、

弁護士への道を何故選ばなかったのかを教えてくれました。

父からたったひと言、

「司法試験は難しいから。」という回答が返ってきました。


父も母も職業を区別はしませんでした。

しかしながら、

「国家試験」という視点があり、その難しさゆえの比較がありました。


母からも『司法試験は・・・makoには無理よ。』と、あっさり言われたものでした。

あ、父からも、

『makoに弁護士の話しをしたよ、お母さん(笑)。』

(なによ、誰も弁護士になりたいなんて言ってないってば。

 ・・・と、当時中学2年生だった私は誠に傷ついたものでした。)


PUNCTUMと聞けばいつもこの場面とこの会話を思い出します。

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by miyabinahiro | 2012-06-08 09:59 | | Comments(0)

放射線科


約33年近く前になりましょうか。

父は病院にCTを導入しました。

当時は、地元の大学病院と両親の病院にだけCTがありました。


父は治療に関する話しを家ではしませんでした。

・・・と言うよりも、

先ずは中学生から一緒に暮らしていませんでしたし、

たまに帰省したときですら、

「勉強しているか?」くらいしか言わない人でしたから。


父は放射線科が専門の内科医師でした。

当時(30年前)は日本全国で30名の放射線科の内科医師しかいなかったそうです。


癌治療とは抗がん剤治療を受けるのが一般的でしょうか。

多大なリスクを伴うものです。


父の後輩にあたる放射線科の医師が私に言いました。

「父君はね、多くの癌感患者を救ってきていたんだよ。」


「なぜ今更そんな話しをするのですか。」

私は涙まじりでその先生に叫びました。


「私はあなたを死なせるわけにはいかないのですよ。」

そう言ってくださったその先生に、

私は次の言葉を失っていました。
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by miyabinahiro | 2011-09-04 23:43 | | Comments(4)

エピソード


生前の父のエピソードは尽きません。

確かに暴君な父でした。

穏やかなときとの差が激しいところは私自身が譲り受けたのでしょう。


ある深夜、

入院患者急変の知らせを受けた父が治療を終え、

鬼のような形相で病棟から自宅に帰って来ました。

その時の患者さんは一命を取りとめ、

後に順調に快復し無事退院されました。


父は帰って来るなり、

「看護婦をひっぱたいてきた、

 使えない看護婦(看護師と呼ばれる前の時代です。)が何人いても駄目なんだ、

 優秀な看護婦がたった1人いればいい。」

・・・そう私に怒鳴りました。


ほどなく泣きはらした顔の看護婦さんが自宅を訪ねて来たのです。

「先生を呼んでいただけますか?

 私が悪いんです、お詫びしなくてはなりません。」


様子を察した私はこう言うしかありませんでした。

「短気な父です。すみません。

 今晩はお戻りください。」


あのときの看護婦さんは今もお勤め戴いています。


次は休診日だったある日曜日の出来事です。

家にいた父が「忘れ物がある」と言って、

外来に行ったときのことです。

事務室の前を通りかかり、

当直の職員さんの電話対応を聞いたそうです。

「今日は休診ですから院長は診ません。

 他をあたってください。」

それを聴いた父は外にまで聴こえる大きな声で怒鳴ったのです。

「勝手に断るとは何ごとだ、

(病気だから)診てほしいと電話してきているのに。

 黙っていても患者が来ると思ったら大間違いだ。

 お前は何様のつもりだ。」


その当時の職員さんもありがたいことに、

現在も在職でいらっしゃいます。

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by miyabinahiro | 2011-07-16 22:43 | | Comments(0)

父という人


こちらで何度か父の事をお話しさせて頂きました。

亡くなった今でも、私の心の中で確執があります。


それでも・・・父です。

目を落とす瞬間に、私の名前を呼んだそうです。


父という人は、とても品のある男性でした。

話し方、歩き方、スーツの着こなし・・・

どれをとっても美しいシルエットでした。


仕事以外に物書きもしていましたので、

文章の美しさでいうなら、父を超える人を私は知りません。


趣味はチェロと釣りで、音楽と海を愛した男性でした。


一度約束した事は必ず守り、

「できない約束は絶対にしない」

それが口癖でした。

事業においてもやり始めたからにはやり遂げ、

途中で、何が理由でも棄権や放棄も一切せず、

言い訳など無縁な父でした。


自分の身の丈を知っている人でしたから、

自分を大きく見せることはしませんでした。


最近、父の尊さを知る出来事がありました。

父が偉大だった事を教えてくださった人に感謝いたします。
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by miyabinahiro | 2009-12-04 19:41 | | Comments(0)

原点


私の弟が父に尋ねたそうです。

「子どもの幸せを考えたことがあるのか?」と。

父は「言っている意味が解らない」という表情をしたと云います。

その年に父は癌で亡くなりました。

最期まで病名を知らされずに亡くなりました。

医師であった父は、同じ医業の兄や弟に「私は癌なのか?」と何度も尋ねたそうです。

知識では既に兄や弟を超えられない父は、

それでも兄や弟を試しながら真実を聞き出そうとしました。

兄や弟が真実を知らせなかったのは、父の弱さを知っていたからなのでしょう。


たった一度だけ、父が私の前で涙を見せたことがありました。

「ちっとも強いわけじゃないんだよ、強く見せなければ世間を生き抜くことができなかっただけだ。」

母が亡くなった日のことでした。


子供に選択肢を与えなかった父でした。

「英語の教師になりたいので英文科に進ませて下さい。」と、

高校時代に勇気を出して言ったことがありました。

それに対し父は、

「知らない世界だから応援できない。どうしても行きたいなら学費も生活費も自分で出すことだな。」

・・・冷たく言い放つだけでした。


あれもこれも言えたなら良かった。

あれもこれも、言っても伝わらないことを知っていたから言葉を飲み込みました。


わが身を引く癖がついたのは父が原点なのかもしれません。
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by miyabinahiro | 2009-08-25 22:29 | | Comments(0)


父について


父が他界したのは平成8年です

互いに父でも娘でもないと絶縁状態になったのが平成2年のことでした


父は非常に恐怖の対象でした


他界した今でもその感情は変わりません



「お前が私の娘でなかったら どんなに楽だっただろう」

あなたが私の父でなかったなら どんなに楽だったでしょう


飛ぶ鳥を落とす勢いの父でした

言ったことはすべて実現する父でした


できない事は口にしない

できない約束は絶対にしない

それがあなたの口癖でした


子どもに「選択する」と「選択しない」という自由を与えなかった父でした


あなたが望んだしあわせは


何だったのでしょう

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by miyabinahiro | 2009-07-24 00:51 | | Comments(1)