カテゴリ:母( 16 )

母の誕生日



今日は母の誕生日。




母へ


誕生日、おめでとうございます。



そちらは温いですか?



何も心配しないでください。

























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by miyabinahiro | 2015-11-21 23:23 | | Comments(0)

母の日


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我が息子からのプレゼントです。


誕生日より、遥かに嬉しいです。

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by miyabinahiro | 2014-05-11 07:48 | | Comments(0)

母の命日


今日は母の命日です。


母他界から24年になります。

今も尚、心配をかけ母の心を傷める私の生き方をお許しください。



天国の母へ。




微笑ましい出来事ならいい、


報道される事件は悲しみに溢れ、

憎しみに満ち、

人の道を外し、

・・・今の世を、母は知らない方がいい。

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by miyabinahiro | 2014-04-04 05:27 | | Comments(0)

ひな人形

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出典:70年前のお雛様




およそ75年ぐらい前、

母の父親(私の祖父)が「娘のために」と、

夜行列車で東京まで行き「ひな人形」を購入したそうです。

そのひな人形がこの写真と同様のものでした。


毎年母は、この時期になると、

亡くなった父親を懐かしむように雛人形を飾っていました。


その雛人形も、

母が気に入っていた20代の頃の白衣を着ていた母の写真も、

兄の妻が処分したと知りました。



ひな人形を見ると無念な想いを一緒に思い出してしまいます。

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by miyabinahiro | 2014-02-20 12:10 | | Comments(0)

誕生日

今日は母の誕生日です。



毎年、母のファンという方から薔薇の花束が届いていました。


母は私とは違い、

赤い口紅が似合う女性でした。

私は口紅はつけません。




天国の母へ

Happy Birthday.



そちらは傷みも哀しみもありませんか?



ごめんなさい、

ママ
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by miyabinahiro | 2013-11-21 20:36 | | Comments(0)

母・・・それから。その2


母に一目惚れをした、大学院の後輩が父でした。


『一生をかけて貴女を幸せにします。

結婚して下さい。』


29才にして初めて愛した男性が父でした。


父は、初めから独裁者だったのではなく、


当時は『豚皮の鞄』に医療器具を入れ、聴診器を首から下げ、

夜中でも早朝でも往診に出向く昔ながらの医者でした。


昭和の初めの頃の医者は、

今とは異なり頭から足の先迄の全身を診れてこそが医者だったと言います。


その頃の父は患者様の為だけを想う医者でした。



つらく・・・なったので、続きはまたいつか。

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by miyabinahiro | 2013-09-26 06:14 | | Comments(0)

母・・・それから。


母とその妹や弟のこと。


母は長女。妹は3人、弟は2人。


全員が国立の小学校と中学校を受験し合格したと言います。


当時の国の制度で男女共学はなく、母と下の妹は女学校を卒業。


2番目の妹と2人の弟は、現在の盛岡第一高校を卒業しました。


全員が卒業式では『右総代』だったと言います。


母は、東京女子医大にストレートで進学。


直ぐ下の妹は山形大学に進み、後に岩手医大に進学し耳鼻科医になりました。


母の弟は東京大学理科Ⅲ類を主席で卒業し外科医となり、30代で助教授、40代で教授になりました。

妻は東京女子医大卒業の眼科医。


他の妹と弟は中央大学卒業。


母は父親をはやくに亡くしたが為、

一家の大黒柱となり、残された妹や弟、母親を支え、


結婚は29才でした。


結婚するまで給料は全てそのままを、母親に渡していたそうです。

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by miyabinahiro | 2013-09-26 05:35 | | Comments(0)

今日は


※加筆訂正


仕事が休みだったことを忘れ、

ご利用者のご家族と約束をしてしまいました。

最近は物忘れも順調に進み、

曜日や日付けの感覚も分からなくなりました^^


本気はさておき、

そんな私の物忘れ防止対策として、

携帯に予めスケジュールを登録し、

30分前や1時間前のアラーム設定をしています。


ま、これも『リスクマネジメント』です。



昨日、『金曜プレステージ・山村美紗サスペンス黒の滑走路3』を見ました。


主役は浅野ゆう子さん。


変わらぬ美しさと色香があります。


スタイルもデビュー(14才?)以来変わっていないご様子です。


私と差ほど変わらない年齢で、

ロングのヘアスタイルが似合うのは彼女ぐらいでしょうか。


母子家庭で育ったのでしたね。

母親を楽にさせたいと、芸能界に入ったのが14才の頃でしたか。


天は二物も三物も与えたような女性だと思います。


宍戸開さんも共演していますね。


都内の大学病院に勤務する弟が宍戸開さんに似ています。



私の母が、お父上の「宍戸錠氏」に会っています。

ある番組の撮影にて。

病院の診療シーンが必要だったそうで、

両親の病院1Fの眼科診察室の窓から宍戸錠さんがカッコよく飛び入るシーンがありました。

診療時間が休憩時間を使っての撮影でしたが、

医者(母)が診察をしながら・・・、宍戸錠さんとのone scene が必要だったとのこと。



40年前のエピソードです。

父にはずいぶん経ってから母が話しました。

「知らぬは父ばかりなり」・・・だったのが、

それを誰からか聴きつけた父が烈火のごとく怒り、

『一体誰が撮影の許可を出したんだ?』・・・と何時も通りの展開になりました。


父曰く、『窓から入ってくるなんぞ不謹慎だ!無礼な男だな、文句を言ってやる!』。

母曰く、『・・・そうやって直ぐ怒鳴るから言わなかったんです。』。



宍戸錠さん、その節はありがとうございました。

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by miyabinahiro | 2013-08-10 12:22 | | Comments(0)


母を思わん。

幾重の涙を流しただろう。


幾度の悔しさを堪えただろう。


母の哀しみを思わん。


母の恩師が父を諭した。


『先生(父)に私は言った筈だ。

なにゆえ共に苦労した人を、

あなたを一重に支えた人を大切にしないのか?

人として生きなさいと。』


角膜移植を世界で初めて成功させたその人が、

母が唯一、頭を下げた恩師でした。



母は私にとって遠い存在でした。


『あんな冷たい女性を、私は他に知らない。』

当時高校生だった私が言いました。


約4年間、私は母と一切の会話をしませんでした。


私の気持ちを、

精一杯開こうと努力する母がいました。


『今更遅いのよ! あんたなんて母親じゃない・・・』


この私の言葉を、

母は涙を浮かべて聴いていました。


平成2年4月4日、

母の亡骸に兄が言いました。

『死んでお詫びをしたい。

命を賭けるだけの男(父)だったのか?』



世間は真実を知らないから好きなことを言う。

それが世間というものだから。



母は今、安らかだろうか。


母を思わん。


母の哀しみを思わん。




※倫理(当時の判決)等を鑑み、角膜移植を名実共に認めさせたのは今泉亀撤氏です。

しかしながら「日本で初めて角膜移植を行った」を「世界で初めて」との記載を謹んでお詫び申し上げます。

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by miyabinahiro | 2013-07-18 22:39 | | Comments(0)

愛はかげろう・返信


今日は母の命日です。

母が好きだったこの曲を再び・・・

天に召された母へ。






このブログでもリクエストが多い曲が「返信」です。

私は、生前の彼を生涯忘れることはないと思います。

そういう生き方があってもいい。


この詩の通りになってしまいました。




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by miyabinahiro | 2012-04-04 20:50 | | Comments(0)